鍾景閣の歴史

その誕生と歩み

旧伊達伯爵邸鍾景閣(きゅうだてはくしゃくていしょうけいかく)は、明治時代後期仙台市一本杉に建造された住宅建築です。江戸時代は大名であった伊達伯爵家の邸宅として創建され、戦後まで屋敷として使用されました。

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伊達家は藩祖政宗以降13代にわたり仙台藩主としての地位にあった家系で、
明治維新後の版籍奉還(土地と人民を朝廷に返すこと)によって華族の身分となり、
明治17年伯爵の位を授けられました。

大名であった江戸時代は仙台城が住まいでしたが、
明治になって一本杉にあった家臣佐々氏の下屋敷を買収して邸宅とし、
14代当主伊達宗基氏の時代に、後に15代当主となった伊達邦宗氏が建て直しました。
それがこの屋敷です。

昭和22年、昭和天皇が東北地方を行幸された際にはその第一夜の御泊所となり、
一時知事公館ともなりましたが、後に聖ウルスラ学院へ譲渡され、
学校施設として利用されてきました。

昭和55年聖ウルスラ学院より仙台市に寄付され、
昭和56年に解体の後、現在地に復元されました。

平成9年、天皇・皇后両陛下(現:上皇・上皇后両陛下)が、
第48回全国植樹祭に行幸啓されたみぎりの御休息御座所となりました。


棟札をめぐって

棟札

瓦屋敷を解体するときに、1階と2階それぞれの屋根裏から立派な棟札(むなふだ)が発見されました。棟札とは棟上げのときに建築の神様を祀るものです。神社やお寺以外、特に民家などには余り例がなく、この屋敷を建てた人々の意気と誇りの表われといえるでしょう。

棟札には、建築主、年代、大工名などが墨書されますが、旧伊達伯爵邸の棟札には「起工明治36年6月」「上棟明治38年3月」とあり、日露戦争の最中の建築であったことがわかりました。

また、「計画 山添喜三郎」と記され、当時宮城県で活躍した第一級の建築技術者による設計であったこともわかりました。 山添喜三郎は天保14年(1843年)新潟の生れで、明治6年(1873年)に開催されたウイーン万国博覧会では神楽殿などの日本建築を設計監督するなど若くしてすぐれた才能を発揮しました。 後に宮城県の技師となり、国の重要文化財に指定されている旧登米高等尋常小学校校舎(宮城県登米町)など数々の作品を残しました。

欧州で西洋建築の影響を受け、おもに木造洋風建築を多く手がけた彼が、明治も末期近くになってこの旧伊達伯爵邸のような純日本的な建築物を作っていることは注目されます。


伊達家の正月料理

伊達家の正月料理

~希有なる食へのこだわり

「少しも料理心なきはつたなき心なり」
「かりそめにも振舞候は、料理第一の事なり」

仙台藩祖、伊達政宗公は料理に対して、強いこだわりを持っていた人だったと言われている。
政宗公の言動を書き記した『政宗公御名語集』には、
「少しも料理心なきはつたなき心なり」
という言葉を残し、朝夕には閑所と呼ばれる小部屋で一刻を過ごし、
献立づくりを行っていたことが記されている。

寛永七年(1630年)、三代将軍徳川家光公を江戸桜田上屋敷に招いた際には、
献立のすべてを政宗公が考案し、自ら味見し膳を運ぶという接待ぶりに、将軍家光公はいたく感激したと伝えられている。
雛の歌人とも称された政宗公の幅広い教養と美意識、
そして食通を公言して憚らぬ並々ならぬ料理への素養が見事に結実されたものであったことだろう。

また、政宗公は「かりそめにも振舞候は、料理第一の事なり」
「馳走とは旬の品をさり気なく出し、亭主自ら料理してもてなす事である」

との名言も残している。
百十余年の歴史をもつ旧伊達伯爵邸「鍾景閣」には、
今も「政宗公料理の心得」が受け継がれている。

~三代将軍徳川家光公をもてなした伊達の食文化。

正月料理

仙台藩公儀使・大童信太夫の覚書によると政宗公が食した正月膳は、
まず御若水、御鏡餅、奥田餅、それに精進の御膳が並び、その後に雑煮と酒。

それから三汁十六菜が出されるといった豪華なもので、
食通である政宗公ならではの正月の寿ぎ方が伺われる。
食材の多くは領内から献上されたもので、三陸のほや、金華山沖の鯨、蒲鉾といった海の幸、
中でも領内を流れる阿武隈川、名取川、広瀬川、鳴瀬川、
北上川などに遡上する鮭はさまざまに工夫されて、御膳に供されている。

その他、味噌の和えものなども記されている。
そのいずれもが素材の味や舌触り、香りや彩りまで周到に計算され、
その組み合わせによりまったく別の風味を生み出すものであり、
創意に富んだ美意識あふれる料理は、まさに「伊達の食文化」の集大成といえる。

~日本料理の心を伝える五感で楽しむ鍾景閣のおもてなし。

百十余年の歴史をもつ伊達家の邸宅として
仙台市の有形文化財にも指定されている旧伊達伯爵邸 鍾景閣。
現在は、伊達家の食文化を継承する食事処として、食通たちに愛されている。

本来、日本料理は料理のみを提供するのではなく、器、しつらえをも楽しむものであり、
日本独自の精神性と美学を根幹に、料理から盛り付け、
配膳や空間までをも美しく整え、お客さまをお迎えするものである。

それは、おもてなしの文化そのものであり、
家光公を招いたおりに自ら献立を考え、
配膳したという政宗公のあり方こそがその本質を物語っている。

鍾景閣では趣ある仙台箪笥に会席料理を納めた箪笥料理やお食事膳を提供しているが、
いずれも宮城の恵みをいただくという謙虚な心で食材に向かい、
旬の食材がもつ繊細な味を大切に調理し、心を込めて盛り付け、配膳する。
加えて、器や空間のしつらえ、日本庭園など、
五感で楽しむことのできるおもてなしこそが鍾景閣のこだわりといえる。

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